「聲の形」が残念だったところと泣けたところ

映画「聲の形」(こえのかたち)を映画館で観ました。
耳が聞こえない美少女・西宮硝子(にしみやしょうこ)を小学生の頃いじめていた男子・石田将也(いしだしょうや)が逆に自分もいじめられる立場になり、なぜかこの二人が惹かれあうという、よくわからないお話です。

硝子が聴覚障害者であることは、そんなに重要な要素ではなく、補聴器や手話など絵面を分かりやすくするために選ばれたのだと思います。
コミュニケーションに齟齬が生じるので周囲の人に受け入れられづらく、本人の努力ではカバーしきれないという要素を持たせるためにです。
この映画の主題は身体障害というよりは「いじめ」やディスコミュニケーションにより変わる人間関係や人生です。

聴覚障害者のための字幕での上映が封切り時から用意されていないという点で批判もされていました。
洋画は日本語字幕上映があるので封切り日から楽しめるのに、邦画は字幕があっても日が限られるか朝一番の回などで観に行くのが大変なんですよね。
『聲の形』の字幕付き上映の有無を巡る諸々の意見 – Togetterまとめ
映画「聲の形」に対する、障害者からの反応 – Togetterまとめ

私が残念だと思ったのは硝子が何を考えていたのかよく分からないところです。
心の中で思ったことのモノローグが無くて、いきなり行動するので、こちらは「え?」と思うこともしばしば。
原作を読んでいないので、原作では内面のことも描かれていたのかもしれませんが、映画を観ただけでは不可解な動きがありました。

また、本作を鑑賞した人のあいだでは、これはいじめっ子側に都合が良い物語なのではないかという意見もあるようです。
『聲の形』はいじめっこ向け感動ポルノなのか – Togetterまとめ

私も、いじめは絶対悪であり、それがその後の人生の苦難で取り消しになるかというと、そうではないと思います。

逆に泣けて仕方無かったのは、二人の母親についての描写です。
二人とも子どものことを何よりも大事にしていて非常に犠牲を払っていて、胸に迫るものがありました。
ただ、これも本当に母親をしている方からみたら、和解とかあり得ないと感じる人もいるのかもしれません。

とはいえ、この作品が映画化されなかったら私は知らなかったと思いますし、賛否両論でも観客動員数が増えるのは良いことではないかと思います。

これは障害者が取り上げられて良かったねというたぐいのものではなく、外国人なども含めた自分とは違う人との関わり合いの話であり、日本人が今後直面する機会が増えるであろうテーマだからです。
何も言わなくてもわかり合えて気持ちが伝わるツーカーの仲というものは、日本で減少していくことは間違いありません。
「相手が分かるまで伝えること」が重要なスキルになっていくことと思います。

そのため、最初から日本語字幕上映が充分に提供されなかったのは残念なことです。
もちろん実現のために努力した担当者もいると思うのですが、どこかの意志決定段階で入らなかったということです。

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