「精神病院を捨てたイタリア捨てない日本」大熊一夫の感想

イタリアに出来て日本に出来ないもの。
失礼ながら、まさかそんなものがあるとは思いませんでした。
この本では、ジャーナリストである著者がイタリアの現地に飛び、イタリアの精神医療について取材してあります。

この本を理解するにあたり、映画「人生、ここにあり!」を抜きには語れないでしょう。
この映画を観ると分かるのですが、イタリアでは精神病を持っている人も地域で暮らしており、仕事も持っています。
なぜそんなことができるようになったのか?
この本を読むと分かります。

かつてはイタリアでも精神病患者は例に漏れず酷い扱いをされていました。
閉じ込められたり、鎖で繋がれたり。
日本でも1964年にライシャワー米国大使が統合失調症の少年に刺される事件があり、危険な人びとは野放しにできないという風潮が広まっていました。

しかし、改革の父バザーリアの考えは違いました。(下線は私が追加)

鉄格子や鉄の扉の奥に押し込めることを正当化するような精神状態など、本来ないのだ。精神病者の、ときおりの暴力は、結果である。施設の中での抑圧で引き起こされた人間としての反応である。つまり、それは精神病院が引き起こす病気。精神病院などやめて人間的存在たりうる温かい状況に置くことができれば、精神病者の暴力などなくなるのだ

多くの精神科医が、重い統合失調症の患者を病院に入れて、完治してないといっては入れっぱなしにする。ところが、病院の外で生活するには、なにも完治する必要はない。患者は専門家の支援のもとで自分の狂気と共存できるのだ。精神科医の変革を待っていたって何も変わらない。今は、大きな文化活動を起こして、精神科医が変わらざるを得ない状況をつくることこそが大事なのだ

バザーリアは悲惨な現状を訴える写真集を出して内部告発もしました。
そして、1973年2月25日、入院者400人を先頭に1000人の行列がトリエステの街を練り歩きました。「貧者の大行進」です。

そのような活動が身を結び、WHOがトリエステを精神保健サービス事業のパイロット地区に指定しました。
1978年にはマニコミオ(イタリアの精神病院)を閉めるための法律180号法を、キリスト教民主党と共産党がイデオロギーを越えて実現させました。
①精神病院を新しく造ることは禁止。すでにある精神病院に新たに入院させることも禁止。
②予防、治療、リハビリは、原則として地域精神保健サービス期間で行う。
③治療は、原則として当人の自由意思のもので行われる。(矯正治療はありうるが歯止めあり)
④それまで県の責任だった精神保健行政の全てを州に移管する。

ここで疑問に思うのが、地域で精神保健サービスをするのはお金が掛かるのではないか?という点です。
これについては著者も同じ疑問を抱いていました。

日本で私は、地域精神保健サービスは精神病院と比べて高くつく、という話ばかり聞かされていた。しかしペッペは「昔の病院時代より今の地域精神保健のほうがはるかに安い」と断言した。バザーリアがサン・ジョヴァンニ精神病院長になった一九七一年、トリエステ県の精神科医療に使われたカネは年間六〇億リラ。それから一五年経った一九八五年の経費は百五〇億リラ。その一五年間に物価は約四倍上昇した。つまり七一年の六〇億リラは八五年の二四〇億リラに相当した。
ということは、八五年の時点で、九〇億リラ分、つまり三七パーセントも安くなったことになる。これは、患者が退院して町で暮らすようになったときに県が支給する補助金(日本の生活保護費に当たる)もふくめての数字だった。

37%も節約になるというのは意外でした。
病院での24時間体制の看護はコストがかかるのですね。

さて、地域に戻された患者の予後はどうだったのでしょうか。
カナダのヴァンクーバーの例が記載されていました。

八〇人を単位とした三群の病人について、治療効果が測られた。第一群は、精神病院に入れられっぱなしの人たち。第二群は、家庭に戻されたがケアを受けない人たち。第三群は、家庭に戻されて外来診療所のケアをうける人たち。結果は、第三群が一番うまくいって、しかもコストがさほどかからなかった。閉じ込められっぱなしの第一群は、治療効果もコストも最悪だった。

やはり閉じ込められっぱなしより、家庭に戻されつつも外来医療所のケアを受けるのが一番良かったそうです。
イタリアではトリエステ以外でも精神病院がどんどん無くなっていき、水の都ヴェネツィアでは、かつてマニコミオだった島が五つ星ホテルに生まれ変わったそうです。

私が精神科に入院したときに感じたのは、出られそうな人たちが全然出られないという違和感です。
大人しくて、誰にも危害を加えないような人が、私のいた急性期の病棟から慢性期の病棟に何人も移っていきました。
あっちに移ってしまった人はどうなったんだろう…。
私は退院できたから良いですが、ずっと閉じ込められていたらと思うと、背筋が寒くなります。

入院施設は陽性症状のひどかった私には必要で、最適なケアを受けられて今でも感謝していますが、一方で、慢性化した人たちを入院させっぱなしというのは、良かったのだろうかと思ってしまいます。
日本でも周回遅れで、この問題を解決しなくてはならない時が来るのではないかと思います。

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「精神病院を捨てたイタリア捨てない日本」大熊一夫の感想」への4件のフィードバック

  1. SKishi

    今から三十数年前、学生だった私は、「ルポ・精神病棟」は読んでいたが、同時に、「精神病者を野放しにするな」という論調の識者のエッセイも矛盾なく共感して読んでいたものだった。

    精神病者の人権より、精神病者に殺される側の人権の方が大切だと思っていた。精神病院への入院に反対する人たちは、「極左の人権屋」で、行き過ぎた意見の持ち主だと信じて疑わなかったものだ。

    今、自分が精神障害者になって、精神病院への入院に反対していた人たちの考えがやっと理解出来た。自分が理解出来たことを、他の人たちにも伝えたいものだ、と思う。

    1. asuka 投稿作成者

      >SKishiさん
      危害を加える人はほんの一部ですが、全員危険のように思われるのはおかしなことですよね。
      犯罪率から言うと逆に、健常者全員閉じ込めろ、くらいのことです。

  2. kiyobosi

    こんにちは、この本読みたいなと思っていました。ますます、興味が
    沸きました・・。私も入院経験ありますが、個室の苦しみは
    陽性症状絶頂期にありながらも感じているものです。
    日本もイタリアのように入院とかなくなって地域でのサポートが
    厚くなるといいです。

    1. asuka 投稿作成者

      >kiyobosiさん
      面白い本でしたよ!
      イタリアにできて日本にできないことなど無いと思います。
      あの大人しかった人たちは無事に退院できたのだろうか…。

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